「シャクの国」は<朔>の始まりともなっていた
信越本線で軽井沢を過ぎて御代田(みよた)付近にさしかかると左側の窓からは佐久平が、佐久平の西側には八ヶ岳連峰が一望できる。このときシャクが八ヶ岳上空に広がっているのを見れば、まさに「シャクの国」というのを実感されるはずだ。
ちなみに、佐久は「柵」からきているという説もあるが、仮にもとからサクであって漢字にあてたのなら、むしろ<朔>の字であったろう。朔の意味は旧暦の一月一日、年の初めの新月のことである。呼応するかのように、佐久の西に隣接する地名に望月がある。望月とは満月を意味する。また、古く中国では天子が諸公を集め暦を配布することを朔という。
そして佐久が<朔>であるためには、この暦をつくるモニュメントがなければならない。はたしてそのようなものはあるのだろうか。冬至の日は、いわば太陽の死ぬ日である。日本は文字どおり太陽信仰の国であり、ほとんどのところで、この日を基準にして再び太陽が生き返る行事を行なっている。太陽がこのまま死んでしまうのではないかと恐れる人々は太陽にみたてた竹の輪をつくり、それをたたいて生き返りを願うという行事もある(神島)。しかし佐久では、冬至の日にカボチャを食べるくらいで、とりたてて取りあげる行事はない。
では何が?蓼科山は何回も登山したものだが、いつも不思議さを感じていた。最初に登った中学一年生の頃、どうしてこんなところに石垣があるのだろうという印象が残った。
頂上には直径100メートルくらい、縁のところで3メートルくらいの石組みがかつてあったように見える。頂上はほぼ平らで穏やかな雰囲気があり、そこで座ったり寝ころんだりすると自分の周りから雲が昇っていくように感じられ、まるで母のふところにいだかれているような安らかさを覚える。
この蓼科山は人工物であろう。おそらくは2万〜3万年前につくられたものと想像される。頂上に残された石には古代文字がいくつも刻まれ、近年は古代研究家の注目の的にもなっている。では、いったいどんな理由で、どんな目的でこの蓼科山はつくられたのであろうか。 |